今日が木曜日だと勘違いしていた事

雑記

10分前まで今日が木曜日だと思っていた

三連休の影響か、今の今まで今日は木曜日だと思い込んで過ごしていた。
今日はあれとこれやってあいつは明日に回そうとか考えながら働いていたわけだけれども、その辺りは木っ端微塵に吹き飛んでしまった。
こういった曜日の認識誤りは誰しも体験したことがあるとは思う。

ふとしたきっかけで今日は金曜日だという事実を知った

きっかけは、妻からのメールで、内容的には他愛のない物。
明日の朝と昼の食事について記載されていた。
そのメールを見た私が思ったことは、何をトチ狂ったことを言っているのだ妻よ。という事だった。
なぜなら、メールを受け取った時点の私から見ると明日は平日金曜日な訳で、当然出勤するので朝食は取らないし、昼食も仕事先近辺での外食となる。
てっきり妻の認識誤りだと思ったのだ。
だがそこで、ふとPCのカレンダーを開いてみた。

なんということか。

PCは17日金曜日と指しているではないか。

私はすかさず私の席の後ろに座っている後輩に声をかけ、今日の曜日を確かめた。
間違いなく今日は金曜日だった。

この瞬間、私は自然と笑顔がこぼれ、小さなしあわせを間違いなく感じた。

なぜ曜日を間違えて認識しているという事象が発生するのか?

Google先生に聞いてみようと思って色々打ち込んでみたが、うまく検索に掛からなかったので推測してみる。

そもそも、この現代社会においては、時間を始めとして、日、曜日、月等いろいろな時系列によって縛られて生活している、と言える。
学生であれば顕著に現れ、まさに言葉の通り、時間割という縛られ方を軸に毎日勉強に取り組んで行く。
社会人でも多少枠は広がるが、出勤時間に始まり、お昼休憩を挟んで退社時刻(予定)という日々決まった時間割を元に生活の大半を占めるであろう勤労に対う。
こんな緊縛社会では、ある程度生活はルーチン化されていくのは仕方の無いことだと私は思う。

ルーチン化。つまりはルーチン化である。

ここに深い思慮は不要である。思慮思考を含めてしまうルーチンはある意味ルーチンでは無い。
無意識的に繰り返し、こなしていく。

そんな無意識連鎖が軸になっている以上、今週がハッピーマンデーで一日平日が少ないという事実を吹き飛ばしてしまったのはある意味必然だったという事。
理由をもう一つ重ねていくと、水曜日と木曜日の昼食が貧乏人が食べる安いうどんを2日連続で食べて、日毎の差異を減らしてしまった事も原因の一因を担っているとも言える。
毎日の差異が減るという事は、昨日と今日の違いを曖昧にするには大きな要因と取れる。

毎日同じ時間に起床し、同じ時間に出勤し、同じ物を食べ、同じ仕事をやり続け帰宅し前日と同じ物を食べ、就寝して翌日に繋がる。

毎日の差異を極限まで減らしていくと、少々の曜日誤りなど何の意味も持たなくなってくる。

だがしかし、そんな同じ灰色の毎日を過ごし続けていくなんてまっぴら御免だと思う。
日々違う発見をしたいとは言わないが、小さなしあわせや小さな楽しみを少しづつ積み上げて生きていきたい。

この結果に伴う幸福感の正体とは

ずいぶん話はそれてしまったが、この結果を見るに、私は心底働くのが嫌いなのではないかと推測出来る。
勤務日が一日減ったという(実際は減っているわけではないのだが)事実が、私に幸福感を与えた。

幸福感。

そう、幸せを確かに感じた。

元々仕事に対するモチベーションは低い方なのだけれども、ここ数日は、職場の人間関係を起因とするモチベーション低下が激しく、常に嫌な気持ちで仕事を進めている。
この辺りも大きな原因では無いかと思う。

要するに何が言いたいのかというと

明日は休みだヒャッホイって事ですよ!ひゃっほーう!

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